偏屈夫とワンオペ育児で限界を迎えて産後ケアを利用した話(前編)
産後4ヶ月あたりから夫との喧嘩が絶えない。
大抵私の「育児の大変さをわかってほしい、共感してほしい」が発端になるが、夫は共感力が低く
「家事や育児を仕事だと思って効率的にやって」「シングルマザーの人はちゃんとやってるよね」「俺は四六時中娘といられる妻が羨ましい。そんなに言うなら代わりに稼いできて」などとのたまうサイコパス野郎だ。
しまいには「娘のことを負担に思うなら保育園に預ければ。探して」と言い出す始末。
娘のことを負担に思う?ハァ〜〜?
休日ですら夜勤どころか沐浴もせず、毎日1時間以上風呂に入ってる夫の方がよっぽど負担なんだよ!保育が必要なのはお前の方だこのヤロー!!(エンタ世代に伝われ、、、)
そんなある日、ぐずる娘をあやしているとオーボールを渾身の力で叩きつけながら暴れるので、あまりの痛さに思わず娘からオーボールをぶん取って床に放り投げてしまった。
あ、もう限界だわ☆
この状況が続けばいつか娘に手をあげてしまうかもしれない。危機感を募らせた私はあるツテ(Google先生)を頼って産後ケア事業の存在を知った。
平たく言えば家族からサポートを受けられないママのための施設で、滞在中の掃除・洗濯・食事の準備から下げ膳まで家事の一切をやってもらえる上、疲れが取れない時は赤ちゃんを預けて休むこともできるというネ申のような事業である。
私の実家は隣駅にあるのだが実質サポートは望めなかった。
大量の物に溢れていて妊娠中から何度も片付けようとする度に「里帰りまでに片付けとくから」などと言ってやめさせられたが、結局まだ悪露が出る身体でガラクタ諸島を解体することになったり、
授乳前にギャン泣きされながら必死におむつ交換している最中にマシンガントークを浴びせられるなど、典型的なADHDの母に嫌気がさして2週間で里帰りを切り上げたという経緯があったからだ。
すがる思いでさっそく利用希望のメールを送ると、担当の方より「ぜひお天気のいい日に一度見学においでになりませんか?」と文面から温かみを感じる返信がきた。
後日、娘を連れて施設の見学に向かった。
(長くなりそうなので前編・後半に分けたいと思います)
30年前の夫のおさがりを捨てたら義母に返してと言われた話
妊娠中、義実家へ遊びに行った際に義母が思い出話にと夫のベビー服を見せてくれた。
ブランド物ばかりだったが、夫が生まれたのは昭和と平成の境目ということもあり流石にデザインも古く、それなりに年季も入っている。
とはいえ30年もの間、きっと大切にとっておいたのだろう。私が「わぁ可愛い〜」と言うと、気を良くした義母からお腹の子に着せてあげてはどうかと提案された。
可愛い息子が着ていた思い出の服を初孫に着せたいという祖父母ドリーム、叶えてさしあげなければ!と当時良い嫁に思われたかった私は快諾した。
ところが出産後、
"こんなピュアな娘に30年も前の服を着せるなんて無理無理の無理!好きぴしか勝たん!ぴえん"
と、良い嫁から娘LOVEマシーンへとレボリューションする。
その後何度か義母に会う機会はあったが、幸いおさがりについて触れられることはなく、初めての育児に忙殺されていたのもありそのうち忘れていった。ある日までは。
それは我が家に義両親を招いて一緒に食事をした日。帰りぎわに義母が「これ持ってきた!終活してるから使わなかったら捨てて!」と例のブツが入った紙袋を置いていった。忘れた頃にやってくるとはまさにこのことだ。
改めて広げてみる。シミもヨレも、思い出の品としては人の歴史を感じさせる良いアクセントになるが、最愛の娘に着せることを考えるとただ汚いとしか思えなかった。
どうしたものかと実母に相談したところ「お義母さんが家に来る時に他の洗濯物と一緒に1,2枚室内干ししておいて、あたかも使ってます的な雰囲気を出してみたら」となかなかナイスなアドバイスをもらう。
ところが義母は「今から高速に乗ってそちらへ向かう」と唐突に連絡してきて20分後ぐらいにやってくるので、片付けや掃除するので精一杯。その作戦はついに実行されなかった。
良い嫁「なるべくシミが少ないものをピックアップしてオキシ漬けすれば、写真を撮る間だけなら着せても良いじゃない☆」
娘LOVEマシーン「30年もどんな状態で保管されていたか分からないものなんて、僕は嫌だ!」
葛藤の末、私は自称ミニマリストの夫のクローゼットにそれらを移動させた。あとは匠による大改造を素知らぬ顔で待つばかりである。
一方、いつまで経っても嫁から「夫さんの服を娘に着せました(はあと」の写真付きのメッセージが来ないため、痺れを切らした義母が追加のおさがりはいるかとジャブ(LINE)を入れてきた。
「コロナで外出の機会が少なく友人の娘(1歳)のおさがりもあるので大丈夫です」と丁重に断ったつもりだが見透かされたのか、
「この前持って行った服、処分してなければ返してほしいんですが?」クエスチョンマークの圧がすごい。
帰宅した夫に義母とのやりとりを見せ、「夫が捨ててしまったみたいです…って返せば?」と言われた通りに返信するやいなや義母から着信が。夫に。
どうやら別件の用事があったようだが、最後の1〜2分はおさがりのことを聞かれていたのだろう。夫が淡々と相槌を打っているとそのうち通話が切れた。
「お義母さん怒ってた?」と尋ねると、「いや?だって捨てて良いって言ったのはあっちだし」まあ、そうだけど・・・ちょっとは罪悪感とかないんか?
いやいや今回の件は全面的に私が悪い。良い嫁ぶろうとおさがりをもらうことを快諾したし、受け取ったとしてもいらないなら後日返すこともできた。もちろん良い顔はされないだろうが、捨てて取り返しがつかなくなるよりずっとマシだ。
夫は私に代わって決断してくれたいわば救世主なのだ。サイコパスだけど。
一方で手放して後悔するような思い出の品を他人に処分を委ねた義母にも責任はある。どんなに思い入れがあろうと、他人にとっては風景の一部でしかないのだから。
私も娘のものはあくまで自分だけの宝として誰にも渡すことなく、死んだら棺桶に入れてもらうつもりだ。
後日談になるが、義母がブランド物のOKバブリーおったまげ〜なスカーフを「査定に出したが値がつかないので私さんに」と持ってきたが、マジで使わないので即座に断った。
本当に良い関係を築きたいなら変に遠慮せず、はっきり意思表示すべきだと気付いた一件だった。
絵本の読み聞かせで泣くので思い切ってやめてみた
※2021/05/16タイトルと内容の一部を変更しました
新生児期を過ぎ少しずつ起きている時間が長くなってきた頃、一緒に遊んであげようと童謡を歌ったり絵本を読み聞かせたりするも、何故かいつも泣かれてしまう。
また、握る力が強いので自分の指やおもちゃなどを差し出すと、一旦は掴むものの
だんだん唸り出し、ギャン泣き。
えっ、一緒に遊ぶなんて無理じゃない・・・?
信者の私は毎日のようにGoogle先生に「赤ちゃん 遊び」「赤ちゃん 日中 かかわり方」「赤ちゃん おもちゃ 唸る」などと尋ねてみるも、先生から明確な答えは返ってこない。
ひたすら「今日はいけるかも」と淡い期待を寄せてはギャン泣きされるという、母にとっても娘にとっても地獄の日々が続いた。
生後4ヶ月で首がすわってくると、脇の下を支えて足をピョンピョンさせたり私のすねに娘を乗せて飛行機のポーズをしたりなどのアクロバティックな遊びができるようになり、これが娘に大ウケ。
ただしすごく疲れるので、一緒に仰向けになってゴロンゴロンと左右に転がってみせたり、抱っこして姿見の前に立ち変顔をしながら近づいたり遠かったりなどの省エネな遊びも織り交ぜて。
娘の反応を見ながら試行錯誤しているうちに遊びのバリエーションが増え、地獄の日々は解消されていきました。
生後6ヶ月の今、おもちゃを握って遊ぶ時間は長くなった(しばらくしたら唸るけど)が、相変わらず絵本の読み聞かせで泣いてしまう。
娘の立場になって考えてみれば、意味不明な言語でたたみかけられたり謎にカラフルな絵を次々に見せられるのって結構怖いことかもしれない。
絵本はもう少し大きくなってからの楽しみにとっておいて、今は我が子が笑ってくれることだけを考えて一緒に楽しもう。
おまけ
何故かお金を出して買ったおもちゃより、おしりふきやビニール袋とかの方が食いつき良かったりしますよね。
はじめに
初めまして、ブログをご覧いただきありがとうございます。
タイトルの通り、社会人になってからADHDの診断がついたポンコツが結婚して子供を産むという人生の大きなイベントを立て続けに経験し、
家事と子育てに試行錯誤する日々や波瀾万丈そうでそうでもない半生を似たような境遇の方と共有できたらと思い、ブログを始めました。
私(30歳)
困惑すると額にパグのようなシワができる。マルチタスクが苦手なのに何故か接客業につきがち(現在は無職)。何でもググる。
夫
大学時代の同級生で、当時の私のあだ名は「泥棒猫」。
自称サイコパスでパリピが襲われる系の映画が好き。お風呂の時間が長い。
娘(0歳)
小さめに生まれたもののおっぱいへの執着が強く、生後1ヶ月で成長曲線ど真ん中まで盛り返す。毎日可愛いを更新中。
よろしくお願いします。